インタビュー

子どもたちが当たり前に政治を志せる社会をつくるために

文京区は、豊かな歴史や文化と都心の利便性という魅力を併せ持つ一方、都市開発や人口構造の変化によるさまざまな課題も抱えています。

4月の区議選で立憲民主党の公認を得て当選した 沢田けいじ さんは、東京大学大学院を修了後、保育士として保育園やこども園で働きながら路地裏の長屋で3人の子どもを育て、防災士として町会やNPOで地域活動やまちづくりに取り組んできました。

地域と教育を現場から支え、立て直すために区政に挑戦する沢田さんに、これまでの道のりと政治にかける思いを聞きました。

生い立ち―受け継いだバトンをつなぐために

――生い立ちを教えてください。

出身は愛媛県松山市です。瀬戸内の漁師町で、海と山に囲まれて育ちました。お祭りや地域行事が盛んで、幼少期の忘れられない思い出がたくさんあります。町じゅうが顔見知りで、大勢の人にお世話になって育ちました。

――家族や生家についても教えてください。

両親とも教員で、自宅でも塾を営んでいたので、いつも大勢の子どもたちが出入りする、にぎやかな家でした。幼少期は母方の祖父母に預けられることも多く、祖父によく遊んでもらいました。とても器用な人で、園芸から料理までなんでもやって見せては小さな私に教えてくれました。

――おじいさんの思い出はありますか?

太平洋戦争で行った、ミクロネシアの孤島での体験を聞かせてくれたことがありました。雑草の根を食べて飢えをしのいだ話や、艦砲射撃で友人を目の前で亡くした話をしたあと、「命なんて軽いもんやと思っとった」と遠い目でつぶやいた祖父の表情は今も忘れられません。

――もう一方のおじいさんはいかがですか?

父方の祖父は結婚してすぐに徴兵され、ニューギニアで戦死しました。祖母は、乳飲み子を連れて満州から引き揚げ、住み込みの下働きをして女手ひとつで父を育てたそうです。とても優しい祖母でしたが、母方の祖父とは対照的に、戦争について口にしたことは一度もありませんでした。

――思い出すのも辛かったのでしょうか?

ええ。父の話では戦死の知らせを信じることができず、戦後も祖父が帰ってくるのを待ち続けたそうです。祖母はとても信心深い人で、小さな神棚の前で、ひとりで祈っている姿をよく見ました。何を祈っていたのか、やはり口にはしませんでしたが、一心に祈る祖母の寂しげな横顔に、幼心に死の影のようなものを感じた記憶があります。

――亡くなった人の影、ということですか?

はい。私も大学のとき大切な友人を病気で亡くしました。誰に対しても優しく、みんなに慕われ、ひとり暮らしに馴染めなかった私をいつも励ましてくれました。葬儀には本当に大勢が集まりました。彼との別れを惜しむたくさんの声を聞きながら、なぜか自責の念に駆られました。なぜ彼でなければならなかったのか。なぜ彼ではなく、私が残されたのか。もし彼が残っていれば、もっと人のために尽くすことができたし、大勢が悲しまずに済んだはずと思うと、居ても立ってもいられなくなりました。

――難しい問いですね。

ええ。しばらくしてから、この問いには答えがないんだと気づきました。精一杯、悔いのない毎日を過ごすことだけが答えに近づく方法だと。彼にこの気持ちを伝えることはできませんが、常に意識し続けることはできます。彼も祖父母も、大切な何かを残して去っていきました。彼らが生きた証を後世に受け継ぐためにも、残された私がバトンをつないでいかなければと感じています。

長屋の流儀―古くて新しい支え合いの仕組み

――文京区に住んだきっかけを教えてください。

きっかけは大学受験です。18歳で進学とともに上京し、都内の学生寮で2年間暮らして、3年目でキャンパスが変わるのをきっかけに文京区に引っ越しました。

――根津の長屋に住んでいるそうですね。

はい。大学までの道すがら、同級生だった妻とよく根津の町を散策しました。どこか懐かしく親しみやすいのに、路地に入り込むと新しい発見があって新鮮な気持ちになりました。しばらくして知り合った友人家族の長屋の暮らしぶりが好きになり、根津に引っ越してきました。

――住み始めた頃はいかがでしたか?

予想もしなかったこともありました。近所のお爺さんが急に玄関から入ってきて、上がり框に腰かけたと思ったら、「最近の若いもんはよ」とお説教が始まるんです。訳も分からず途方に暮れましたが、後になって新参者の私たちの暮らしぶりを確かめに来ていたと知りました。親しくなってからはいろんなことを教えてくれました。

――どんなことですか?

長屋では内緒話はしちゃいけないと。壁が薄くて、悪口や悪だくみも筒抜けで、すぐに周りにばれちゃうから、そういう人はここには住めないんだって。長屋に住んでいる人に、悪い人はいないんだと言うんですね。あと、よく、隣に醤油を借りに行くって言うじゃないですか。あれ、今の時代じゃ考えられないですよね。ところが、醤油はわざと借りに行くもんだって言うんです。取るに足らないものでいいから、借りをつくるんだって。そうやって借りをつくって返してを繰り返すなかで、ご近所の信頼関係ができていくんだって言うんです。

――長屋の流儀みたいなものですね。

ええ。あと、長屋の人はよく猫を飼っているんですが、これが大概、何軒かを行ったり来たりしているんです。軒が並んでいて行き来しやすいんですね。そうやって、いろんな人にかわいがられ、それぞれの家の名前で呼ばれているんです。誰の猫かなんて、関係ないんですね。

――ご家族について教えてください。

妻と息子3人で、上は中学生、下は4歳です。はじめは夫婦二人だけで暮らしていましたが、子どもが生まれてからは地域のいろんな方にお世話になりました。面倒を見てくれたり保育園に迎えに行ってくれたり、ときには、ご飯やお風呂までお世話になることもありました。

――ご飯やお風呂までですか?

はい。親戚でもないご近所さんですよ。さすがに申し訳なくて謝ったら「遠くの親戚より近くの他人、でしょ。お互いさまよ」と笑顔で諭されました。「子どもだって、その方が絶対、幸せなんだから」と。本当にありがたくって、それ以来、この町のことが大好きになりました。

――遠くの親戚より近くの他人、ですか?

ええ。この町では人に迷惑をかけないことより、かけて返しての方が大事なんです。子どもにだって、親以外の大人からしか学べないことがありますよね。親が迷惑を気にすれば、この斜めの関係もなくなります。反対に、いつか返そうと決めれば気兼ねなく助け合えます。実際、東日本大震災では、ご近所さんの片付けを手伝ったり 壊れた戸を直したり、日頃の恩返しができました。一人暮らしのご近所さんは、子どもの声を聞くと安心すると言います。「うるさい方がいいのよ。前の家は物音一つしなくて、夜なんか一人で眠れなかったんだから」と。

――今は騒音が問題になることの方が多いのでは?

どこの誰かも分からない人の音は気になりますが、長屋では、向こう三軒両隣は必ず顔見知りですからね。特に、猫や子どもは、小さくて弱い存在だからこそ、人と人をつないでくれるんです。今はグローバル化が進む反面、こうしたローカルなつながりも見直され始めています。開放的でお互いさまの、長屋の暮らしのような支え合いの仕組みをどうつくるかが、課題と思います。

地域と学校―まちぐるみで支え合い、学び合う

――まさしく、まちぐるみの支え合いですね。

はい。長屋の暮らしは忙しいし、お金もありませんが、困ったときは誰かが必ず助けてくれると思うと、不安や焦りもありません。保育士としての経験やスキルを地域のために役立てたいと思い、保育園の父母の会や小学校のPTA、子育て支援のNPOなどに関わり始めたのもこの頃です。

――保育園では父母の会長もされたそうですね。

大震災の影響で課題は山積みでしたが、いろんな分野で活躍する先輩父母の力を借りて、乗り越えてきました。保育現場での経験も大いに役立ちました。父母の代表として参加した区の審議会では、行政だけでの問題解決の難しさと市民参加の重要性を実感しました。また、子育てをとおして助け合う安心を多くの人に伝え、これから子育てする人が大勢の助けを借りられるよう働きかけていくことを、ライフワークと考えるようになりました。

――お仕事についても教えてください。

大学の専攻は農学部でしたが、教職を目指して教育学部にも通いました。特に、保育や幼児教育学の授業は新鮮で、教育に対する価値観を根本からくつがえされました。大学院修了後は、情熱あふれる先生方に背中を押され、一念発起して都内の認可保育園に就職しました。

――現場の仕事はいかがでしたか?

はじめは戸惑いだらけでした。授業で学んだ理論と現場の実践のギャップや、保育士と保護者の価値観の違いをどう埋めるか、本当に悩みました。そのとき、恩師が「迷ったら子どもに聞くんだよ」と教えてくれたんです。肝心の子どものことを忘れて、大人ばかり見ていたんですね。それからは、子どもと学び合いながら究めていく現場の仕事に、純粋な喜びを感じるようになりました。

――ほかにはどんな仕事に携わりましたか?

保育士の育成や地域との連携、保幼小中の連携などです。近年の教育現場は多忙を極め、子どもとの創造的な学び合いに情熱を注ぐ余裕がありません。特に、保育は人手不足のため人材育成が大切な課題です。地域や学校との関わりは、現場の保育士の視野を広げ、探求心を深め、自身の課題や働き甲斐を見つけるのにも役立ちました。

――小学校のPTAにも関わられたそうですね。

はい。現場の先生たちの苦労を目の当たりにし、地域と家庭と学校の連携の大切さを実感しました。地域のつながりと学校教育の質は深く関係しています。地域が同じビジョンのもとで協力しあうことで、今の教育現場のさまざまな問題にも解決の糸口が見つかるはずです。

第二の故郷―子どもたちに「ふるさと」を受け継ぐ

――政治を志したきっかけを教えてください。

十年前に区議会議員の渡辺まさしさんから、年末の火の用心に誘われたのがきっかけです。拍子木を叩きながら二人で夜の町を歩いて回るのですが、渡辺さんがこの町を知り尽くしていたことに、何より驚きました。路地をくまなく歩いて、すれ違う人全員に声をかけるんです。「火のもと戸締り、ご用心ください」「おつかれさま。今日もありがとう」という風に、みんな顔見知りなんですよ。思い返してみると確かに、この町の人は普段からよく人に声をかけるんですね。例のお爺さんは、いつも路地の入口で「どこ行くんだ」「誰かに用か」と聞くし、惣菜屋のおばさんも「さっき奥さん大根を買ってたから、今夜はきっとお鍋だわ」なんて、よく見ているんです。町を守っている人の存在に、初めて気がつきました。

――ほかにはどんな関わりがありましたか?

火の用心がきっかけで、地域や町会の活動にも関わるようになりました。子どものイベントやお祭りに始まり、まちづくりや防災など、いろんな仕事や役割を任されるなかで、町を守ってきた人たちに近づける嬉しさと、コミュニティの一員として認められる誇らしさを感じました。また、そうやって町に関わるいろんな人たちの思いに触れ、自分も町を守る側に立つことが増えるなかで、次第にこの町を、第二の故郷と感じるようになりました。

――もうひとつの「ふるさと」ということですか?

子どもたちにとっては生まれ育ったこの町が故郷なんです。自分と同じような故郷の原風景や原体験を、この子たちの記憶に残したいと思いました。この町の子どもたちが将来、思い出したときに「ここで生まれ育って、本当によかった」と思える町をつくりたい、そうやって先人たちの思いを子どもたちに受け継いでいくことが、この町やお世話になったみなさんに対して、私ができる一番の恩返しではないかと思っています。

民主主義の学校―地方から民主主義を立て直す

――立憲民主党を選んだ理由を教えてください。

政治を、もっと身近で当たり前なものに、子どもたちが当たり前に関心を持てるものにしたいのです。立憲民主党は、生活の現場から政治を立て直します。政治が生活を動かすのではなく、生活が政治を動かす。本来の関係を取り戻し、多くの子どもが政治家を志して社会に秩序と統合をもたらす原動力になることが、私の目標です。

――地方議員を志した理由も教えてください。

イギリスの歴史学者ジェームズ・ブライスは、地方自治は民主主義の学校という言葉を残しました。民主主義の基盤は地方自治であり、民主的な国家を実現するには、まず地方自治を確立せよという意味です。言い換えれば、この国の民主主義を守る最後の砦が地方自治であるともいっても過言ではありません。

――最後の砦ですか?

少子高齢化や核家族化によって、家庭や近所や地域社会にあった「お互いさまの支え合い」の仕組みが立ち行かなくなり、政治もこれを補う力を失っています。本来なら温かくて肌ざわりのよい社会をつくる仕組みのはずの政治が、反対に冷たい自己責任論や弱肉強食の競争を煽り、分断や対立を助長してばかりいます。私たちが目指しているのはそんな未来ではありません。

――目指しているのは、どのような未来ですか?

一人ひとりを大切にする未来です。自由と人権と法治を大切に、弱い人を守る社会です。立憲主義は憲法で政治の暴走を止めること、民主主義は一人ひとりが人生の主役になることです。政治を私たちの手に取り戻し、困ったときこそ頼りになる本来の政治の姿に立ち戻りたいのです。病気や介護が必要なときに誰もがケアを受けられる未来に、仕事をしながらでも、安心して子どもを生み育てられる未来にしたいのです。

――それを実現するのが本来の政治であると?

はい。立憲民主党は一政党に過ぎませんが、市民と政治家を結ぶプラットフォームの価値は無限大です。身近な問題をとおして一人ひとりの政治への関心を育て、生活の現場から民主主義を立ち上げるのも、政治家の大切な仕事です。文京区が変わればまわりの自治体にも影響を及ぼし、地方自治が変われば国政にも変革のチャンスが生まれます。回りくどいかもしれませんが、地べたから一つずつ積み上げていくことが、本来のまっとうな社会を実現する最善の方法と思います。

――国政については、いかがですか?

国政も分断と対立が続いています。この政治の流れを変えるのもまた、一人ひとりの努力の積み重ね以外にはありません。利己的で感情的なこれまでの方法とちがって、公共的で理知的な対話と議論をとおして、問題をひとつずつ解決するところから始めませんか。身近な問題を人まかせにしないで、それぞれが自分で動き、動かすことから始めませんか。そうやって信じられる確かな規範を積み上げた先に、本来のまっとうな政治が取り戻せるのではないでしょうか。

――最後に、メッセージをお願いします。

地方自治の目的は、誰もが人生の主役になれる町をつくることです。政治も社会も先行きの分からない状況が続いています。つい考えるのをやめたり、批判や否定に明け暮れたりしてしまいますが、それでは流れは変わりません。大事なのは想像力です。自分がどんな人間で、何を望んでいるかを知ること。自身の楽しみを掘り下げ、その先に望む暮らしや地域社会の姿を、具体的に想い描いてみせること。道のりは遠くても、みんなで知恵と力を合わせれば、必ず望む未来に近づくことができます。この町の未来をつくるのはあなた自身です。一緒に新しい挑戦を始めませんか。

そのほかのインタビュー

そのほかのインタビュー内容については、以下のブログ記事をご覧ください。

#01 生い立ちからこれまで
#02 政治を志した理由について
#03 これまでの子育てや仕事について
#04 立憲民主党を選んだ理由について
#05 文京区に住んだきっかけと長屋の暮らしについて
#06 生い立ちや家族について
#07 長屋の子育てについて
#08 子育てとまちづくりについて
#09 お祭りと防災士の仕事について
#10 まちづくりと生活文化について
#11 保育士の仕事と専門職性について
#12 大学院での研究と地域の教育力について
#13 コミュニティと地域活動について
#14 町の課題と解決策について
#15 新しいスタートへの決意や抱負について
#16 はじめての定例議会について