インタビュー #1

子どもたちが当たり前に政治を志せる社会をつくるために

2019年4 月の区議会議員選挙で新人候補として3187 票をいただいて当選し、議会でも地域でもたくさんの貴重な活動の機会をいただきました。
大学院修了後、保育士として働きながら下町の長屋で3 人の子どもを育て、地域活動やまちづくりに取り組んできた経験を活かし、困ったときこそ頼りになる本来の政治を、暮らしに根ざしたボトムアップのまっとうな政治を、このまちから取り戻してまいります。
これまでの道のりや政治にかける思い、新しいスタートへの抱負や開かれた自由な議会への道すじについてお話ししたインタビューをお送りします。

生い立ち
――受け継いだ命のバトンをつなぐ

――生い立ちを教えてください。
出身は愛媛県松山市です。瀬戸内の漁師町で、海と山に囲まれて育ちました。小さな町で、町じゅうが顔見知りなんですよね。お祭りや伝承行事も盛んな地域で、幼少期の忘れられない思い出がたくさんあります。

――家族や生家は?
両親とも教員で、自宅で私塾も営んでいたので、いつも大勢の子どもたちが出入りする、にぎやかな家でした。忙しい両親に代わって母方の祖父母に預けられることが多く、祖父にもよく遊んでもらいました。とても器用な人で、園芸から料理までなんでもやって見せては、小さな私に教えてくれました。

――おじいさんの思い出はありますか?
大正生まれの人で、太平洋戦争で行ったミクロネシアの孤島での体験を聞かせてくれたことがありました。雑草の根を食べて飢えをしのいだ話や、艦砲射撃で友人を目の前で亡くした話をしたあと、「命なんて、軽いもんやと思っとった」とつぶやいた祖父の表情は今も忘れられません。

――もう一人のおじいさんは?
父方の祖父は結婚してすぐに徴兵され、ニューギニアで戦死しました。祖母は、混乱のさなかに乳飲み子を連れて満州から引き揚げ、住み込みの下働きで父を育てたそうです。とても優しい祖母でしたが、母方の祖父母とは対照的に、戦争について口にしたことは一度もありませんでした。

――思い出すのも辛かったのでしょうか?
そうかもしれません。父の話では戦死の知らせを信じられず、戦後も祖父の帰りを待ち続けたそうです。祖母はとても信心深い人で、小さな神棚の前でひとり、祈っている姿をよく見ました。何を祈っていたのかはやはり口にしませんでしたが、一心に祈る祖母の横顔に、幼心に死の影を感じた記憶があります。

――亡くなった人の影、ということですか?
はい。私も大学のとき大切な友人を病気で亡くしました。誰にも優しく、みんなに慕われ、東京でのひとり暮らしに馴染めない私をいつも励ましてくれました。葬儀にも大勢が集まりました。彼との別れを惜しむたくさんの声を聞きながら、なぜか自責の念に駆られました。なぜ彼でなければならなかったのか。なぜ私が残されたのか。もし彼が残っていれば、もっと人のために尽くすことができたはずなのにと思うと、居ても立ってもいられなくなりました。

――難しい問いですね。
ええ。しばらくしてから、この問いには答えがないんだと気づきました。精一杯、悔いのない毎日を過ごすことだけが答えに近づく方法だと。彼にこの気持ちを伝えることはできませんが、意識し続けることはできます。彼も祖父母も、大切な何かを残して亡くなりました。彼らの生きた証を後世に受け継ぐためにも、残された私がバトンをつないでいかなければと感じています。

長屋の流儀
――旧くて新しい支え合いの仕組み

――文京区に住んだきっかけを教えてください。
きっかけは大学受験です。18歳で進学とともに上京し、都内の学生寮で2年間暮らしてから、3年目でキャンパスが変わるのをきっかけに文京区に引っ越しました。

――根津の長屋に住んでいるそうですね。
大学までの道すがら、同級生だった妻とよく根津の町を散歩しました。どこか懐かしく親しみやすいのに、路地に入り込むと新しい発見があって新鮮な気持ちになりました。しばらくして、たまたま知り合った友人家族の長屋の暮らしぶりが好きになり、根津に越してきました。

――住み始めはいかがでしたか?
予想もしなかったこともありました。酔っ払った近所のお爺さんが急に玄関から入ってきて、上がり框に腰かけたと思ったら、「最近の若いもんはよー」とお説教が始まるんです。訳も分からず途方に暮れましたが、後になって新参者の私たちの暮らしぶりを確かめに来ていたと知りました。親しくなってからはいろんなことを教えてくれました。

――どんなことですか?
長屋では内緒話はしちゃいけないと。壁が薄くて、悪口や悪だくみも筒抜けだから、そういう人はここには住めないんだって。長屋に住んでいる人に、悪い人はいないんだと言うんですね。あと、よく、隣に醤油を借りに行くって言うじゃないですか。あれ、今の時代じゃ考えられないですよね。ところが、醤油はわざと借りに行くもんだって言うんです。取るに足らないものでいいから、借りをつくるんだって。そうやって借りをつくって返してを繰り返すなかで、ご近所の信頼関係ができていくんだって言うんです。

――長屋暮らしの流儀ですね。
ええ。あと、長屋の人はよく猫を飼っているんですが、これが大概、何軒かを行ったり来たりしているんです。軒が並んでいて行き来しやすいんだと思いますが、そうやっていろんな人にご飯をもらって、それぞれの名前で呼ばれているんです。誰の猫かなんて、関係ないんですね。

――ご家族は?
妻と息子3人で、上は中学生、下は4歳です。はじめは夫婦二人で静かに暮らしていましたが、子どもが生まれてからはいろんな方にお世話になりました。面倒を見てくれたり保育園に迎えに行ってくれたり、ときには、ご飯やお風呂までお世話になることもありました。

――お風呂もですか?
親戚でもないご近所さんですよ。さすがに申し訳なくて謝ったら「遠くの親戚より近くの他人、でしょ。お互いさまよ」と笑顔で諭されました。「子どもだってその方が絶対、幸せなんだから」と。本当にありがたくって、それ以来、この町のことが好きになりました。

――「遠くの親戚より近くの他人」、いい言葉ですね。
この町では人に迷惑をかけないことより、かけて返しての方が大事なんです。子どもにだって、親以外の大人からしか学べないことがありますよね。親が迷惑を気にすれば、この斜めの関係もなくなります。反対に、いつか返そうと決めれば気兼ねなく助け合えます。実際、東日本大震災では、ご近所さんの片付けを手伝ったり壊れた戸を直したり、日頃の恩返しができました。ひとり暮らしのご近所さんは、子どもの声を聞くと安心すると言います。「うるさい方がいいのよ。前の家は物音ひとつしなくて、怖くて夜も眠れなかったんだから」と。

――今は騒音が問題になることの方が多いのでは?
どこの誰かも分からない人の音は気になりますが、長屋では向こう三軒両隣は必ず顔見知りです。特に、猫や子どもは小さくて弱い存在だからこそ、人と人をつないでくれるんです。今はグローバル化の反面、こうしたローカルなつながりも見直されています。開放的でお互いさまの、長屋の暮らしのような支え合いの仕組みをどうつくるかが課題と思います。

地域と学校
――まちぐるみで支え合い、学び合う

――まちぐるみの支え合いですね。
長屋の暮らしは忙しいし、お金もありませんが、困ったときは誰かが助けてくれると思うと、不安や焦りもありません。保育士の経験やスキルを地域のために役立てたいと思い、保育園の父母の会や小学校のPTAなどに関わり始めたのもこの頃です。

――保育園では父母の会長もやったそうですね。
東日本大震災の影響で課題は山積みでしたが、いろんな分野の先輩父母の力を借りて乗り越えられました。保育現場での経験も役立ちました。父母の代表として参加した区の審議会では、行政単独での問題解決の難しさと市民参加の重要性を実感しました。また、子育てをとおして助け合う安心を多くの人に伝え、これから子育てする人が大勢の助けを借りられるよう、社会に働きかけていくことをライフワークと考えるようになりました。

――お仕事についても教えてください。
大学の専攻は農学部でしたが、教職を目指して教育学部にも通いました。特に、保育や幼児教育学の授業は新鮮で、教育に対する価値観を根本からくつがえされました。大学院修了後は、情熱あふれる先生方に背中を押され、一念発起して都内の認可保育園に就職しました。

――現場の仕事はいかがでしたか?
はじめは戸惑いだらけでした。授業で学んだ理論と現場の実践のギャップや、保育士と保護者の価値観の違いをどう埋めるか、ずっと悩んでいました。そのとき、恩師が「迷ったら子どもに聞くんだよ」と教えてくれたんです。肝心の子どものことを忘れて、大人ばかり見ていたんだと思います。それからは、子どもと学び合いながら究めていく現場の仕事に、純粋な喜びを感じるようになりました。

――ほかにはどんな仕事に携わりましたか?
保育士の育成や地域との連携、保幼小中の連携などです。近年の教育現場は多忙を極め、子どもとの創造的な学び合いに情熱を注ぐ余裕がありません。特に、保育は人手不足のため人材育成が大切な課題です。地域や学校との関わりは、現場の保育士の視野を広げ、探求心を深め、自身の課題や働き甲斐を見つけるのにも役立ちました。

――小学校のPTAにも関わったそうですね。
はい。現場の先生たちの苦労を目の当たりにして、地域と学校の連携の大切さを実感しました。地域のつながりと学校教育の質は深く関係しています。地域が同じビジョンのもとで協力しあうことで、今の教育現場のさまざまな問題にも解決の糸口が見つかるはずです。

第二の故郷
――子どもたちに「ふるさと」を受け継ぐ

――政治を志したきっかけを教えてください。
十年前に区議会議員の渡辺まさしさんから、年末の火の用心に誘われたのがきっかけです。拍子木を叩きながら夜の町を歩いて回るんですが、渡辺さんがこの町を知り尽くしていたのに驚きました。路地をくまなく歩いて、すれ違う全員に声をかけるんです。「火のもと戸締り、ご用心ください」「おつかれさま。今日もありがとう」という風に、みんな顔見知りなんですよ。思い返してみると確かに、この町の人は普段からよく人に声をかけるんですね。例のお爺さんは、いつも路地の入口に立っていて、「どこ行くんだ?」「誰か用か?」と聞くし、惣菜屋のおばさんも「さっき奥さんが大根を持って帰ったから、今夜はきっとお鍋だわ」なんて、よく見てるんです。町を守っている人の存在に、初めて気がつきました。

――ほかにはどんな関わりがありましたか?
火の用心がきっかけで、地域や町会の活動に関わるようになりました。子どものイベントやお祭り、まちづくりや防災など、いろんな仕事や役割を任されるなかで、町を守ってきた人たちに近づける嬉しさと、コミュニティの一員として認められる誇らしさを感じました。また、そうやって町に関わるいろんな人たちの思いに触れ、自分も町を守る側に立つことが増えるなかで、次第にこの町を第二の故郷と感じるようになりました。

――もうひとつの「ふるさと」ということですか?
子どもたちにとっては、生まれ育ったこの町が故郷なんです。自分と同じような故郷の原風景や原体験を、この子たちの記憶に残したいと思いました。この町の子どもたちが将来、思い出したときに「ここで生まれ育って、本当によかった」と思える町をつくりたい、そうやって先人たちの思いを子どもたちに受け継いでいくことが、この町やお世話になった人たちに対して、私ができる一番の恩返しではないかと思っています。

民主主義の学校
――地方自治から民主主義を立て直す

――立憲民主党を選んだ理由を教えてください。
政治をもっと身近で当たり前のものに、子どもたちが当たり前に関心を持てるものにしたいんです。立憲民主党は、生活の現場から政治を立て直します。政治が生活を動かすのではなく、生活が政治を動かす。本来の関係を取り戻し、多くの子どもが政治家を志して、社会に秩序と統合をもたらす原動力になることが私の目標です。

――地方議員を志した理由は?
イギリスの歴史学者ジェームズ・ブライスは、「地方自治は民主主義の学校」という言葉を残しました。民主主義の基盤は地方自治であり、民主的な国家を実現するには、まず地方自治を確立せよという意味です。言い換えれば、この国の民主主義を守る最後の砦が地方自治であるともいっても過言ではありません。

――最後の砦ですか?
少子高齢化や核家族化によって、家庭や地域社会にあった「お互いさまの支え合い」の仕組みが立ち行かなくなり、政治もこれを補う力を失っています。本来なら温かくて肌ざわりのよい社会をつくる仕組みのはずの政治が、冷たい自己責任論や弱肉強食の競争を煽り、分断や対立を助長してばかりいます。私たちが目指しているのはそんな未来ではありません。

――どんな未来を目指しますか?
一人ひとりを大切にする未来です。自由と人権と法治を大切に、弱い人を守る社会です。立憲主義は憲法で政治の暴走を止めること、民主主義は一人ひとりが人生の主役になることです。政治を私たちの手に取り戻し、困ったときこそ頼りになる本来の政治の姿に立ち戻りたいんです。病気や介護が必要なときに誰もがケアを受けられる未来に、仕事をしながらでも安心して子どもを生み育てられる未来にしたいんです。

――それを実現するのが本来の政治であると?
はい。立憲民主党は一政党に過ぎませんが、市民と政治家をつなぐプラットフォームの価値は無限大です。身近な問題をとおして一人ひとりの政治への関心を育て、生活の現場から民主主義を立ち上げるのも、政治家の大切な仕事です。文京区が変わればまわりの自治体にも影響を及ぼし、地方自治が変われば国政にも変革のチャンスが生まれます。回りくどいかもしれませんが、地べたから一つずつ積み上げていくことが、本来のまっとうな社会を実現する最善の方法と思います。

――国政についてはいかがですか?
国政も分断と対立が続いています。この政治の流れを変えるのもまた、一人ひとりの努力の積み重ね以外にはありません。利己的で感情的なこれまでの方法とちがって、公共的で理知的な対話と議論をとおして、問題をひとつずつ解決するところから始めませんか。身近な問題を人まかせにしないで、それぞれが自分で動き、動かすことから始めませんか。そうやって信じられる確かな規範を積み上げた先に、本来のまっとうな政治が取り戻せるのではないでしょうか。

――最後に、メッセージをお願いします。
地方自治の目的は、誰もが人生の主役になれる町をつくることです。政治も社会も先行きの分からない状況が続いています。つい考えるのをやめたり、批判や否定に明け暮れたりしてしまいますが、それでは流れは変わりません。大事なのは想像力です。自分がどんな人間で、何を望んでいるかを知ること。自身の楽しみを掘り下げ、その先に望む暮らしや地域社会の姿を、具体的に想い描いてみせること。道のりは遠くても、みんなで知恵と力を合わせれば、必ず望む未来に近づくことができます。この町の未来をつくるのはあなたです。一緒に新しい挑戦を始めませんか。

▼インタビューの続きはこちらをご覧ください
#2 未来を生きる子どもたちに選ばれる議員になるために
新しいスタートへの抱負や初めての議会活動、開かれた自由な議会への道すじなど
#3 誰もが政治の主役になれる社会をつくるために
コロナ危機による変革のチャンスやボトムアップの政治参加の方法など