インタビュー #3

誰もが政治の主役になれる社会をつくる

前回のインタビューでは、はじめての議会活動での発見や課題、開かれた自由な議会を実現する方法についてお話ししました。
今回はこれに続き、コロナ危機がもたらした変革のチャンスや、ボトムアップの政治の実現方法についての内容です(インタビューは2021年3月に行われました)。

政治と社会のあり方を見直す
――コロナ危機による変革のチャンス

――コロナ禍で大勢が苦しんでいます。政治が機能していないとの批判もありますが、いかがですか?
住まいや仕事を失い、孤独や貧困に苦しむ人が増えています。支援が届かない人も大勢います。危機が起きる前に先手を打って備えるのが本来の政治ですが、社会システムの複雑化に遅れを取っています。政治のあり方そのものに見直しが必要だと思います。

――国政はほんとうに遅れています。区政はいかがですか?
コロナ禍を機に、地方自治の役割が見直されています。国や都の対策が不十分なときほど独自の対策や発想が問われるからです。危機を乗り越えるには、より多くの知恵と力が必要ですし、それらを活かせる区政や区議会のあり方を模索するべきだと思います。

――議会のあり方も見直しが必要と?
議会は住民の代表で、地方自治の根幹です。コロナ禍で議会の存在意義が見直され、住民の関心が高まっている今が進化のチャンスだと思います。

――危機を契機に、ですね。たとえばどんな進化ですか?
より多くの住民に正しい情報を伝え、声をまとめて提言する議会への進化です。行政機関が危機対応で忙しいときほど、議会の成熟度が問われますから。

――議会の成熟度ですか。具体的には?
正しい理念や方針を明確に掲げているか。住民と協働して提案や評価をしているか。そのほか、議員一人ひとりが能力を発揮できる環境があるか、常に改革に向けて取り組んでいるかなどが成熟度の指標になります。

――改革に向けた取り組みも指標のひとつですか?
社会が変われば議会も変わるので、改革し続けなければ成熟した議会はつくれないですよね。前例や慣習が障壁になることもあるし、行政に迎合して進まないこともあります。住民の利益や関心を最優先できるかどうかが取り組みのポイントだと思います。

――慣例にとらわれない、改革志向の議員が必要と?
はい。そして、そんな議員を支えるのは住民の力です。分からないことや困ったことがあれば、まず議員に相談する。問題が解決しないときは、請願を出して議会で議論する。それでも納得できなければ、仲間を集めて自分たちの声を代弁する議員を増やす。行動し続ければ議会も活性化できるし、改革志向の議員を応援できます1

――相談や請願、そうやって議員をもっと活用すべきということですね。
相談すれば議員の仕事も評価できます。代表者の責務を果たしているか、議会の改革に取り組んでいるかもチェックできるので、ぜひいろんな議員に相談してみてください。

公正で開かれた議会へ
――オープンガバメントと民主主義の学校

――今年度の議会活動をふりかえって、いかがでしたか?
3月の予算審査では、前年に続き、会派から予算修正案を提出しました。結果は賛成少数で否決でしたが、今後につながる問題提起ができたと思います。給食費の無償化や子育て世代の負担軽減、議会ICT化の経費削減など、これまでにないテーマで議論を深めることもできました2

――議会改革も予算審査のテーマのひとつということですね。
はい。議会のDX化については課題が山積みです。インターネット中継だって、台本を読み合わせるだけの本会議しか中継していない議会は、23区でも少数です。委員会のライブ中継やAI文字起こしによるリアルタイム字幕、オンライン参加の会議や報告会など、住民の福祉や満足度につながる議会の進化が求められます。

――なのに経費削減というのは?
今回、削減を提案したのは議員に貸与するタブレットの導入費用です。大半の議員が既にノートPCやタブレットを政務活動費で購入しているのに複数台は無駄づかいですし、使い慣れないタブレットを買い足すくらいなら手持ちの端末を活用すべきと提案しました。

――提案の経緯も教えてください。
幹事長会や議会ICT化検討会など内部の会議体で議論していたため、オープンに議論できなかったんです。問題を公にし、大勢の知恵を集めて意思決定するのがオープンガバメントですが、こうした会議には議事録もなく傍聴もできないため関われるのは限られた人だけです。

――非公開の会議体で議論していたということですか?
公開されているのは資料と決定事項だけで、どんな意見や議論があって、どんな方法で意思決定されたかを参加者以外が知る術がないんです。地方自治の主役は区民なので、クローズドな意思決定はなるべく避けるべきだと思います。

――議会運営の問題でもありますね。
会議が非公開だと水面下の交渉や取引が横行して、区民への説明責任が果たせなくなるリスクがあります。少数意見や反対意見が抑圧されると会議の質も下がるので、一部の議員の都合や慣例で非公開の会議があれば、オープンにしたほうがいいと思います。

――会議をオープンにすれば、議論の質も高まるのでは?
オープンな会議ほど、少数者への攻撃や排除が起きにくくなりますよね。威圧的な態度を取る人が少なく、誰もが安心して自由に意見を述べられるからです。参加者の心理的安全性の確保が、議論の質を高める鍵だと思います。

――少数意見を尊重することで議会の質も高まると?
クローズドな会議では多数派が少数派の発言を萎縮させ、思いどおりにすることができますからね。そうした会議では、少数派はいつも心理的なプレッシャーに晒され続けることになります。民主的な議会には、多数派の暴力を監視できるオープンな議会運営が不可欠です。

――議会の改革も進むということですね。ところで、先月、議長に不信任案を出したと伺いましたが?
議会のICT化をめぐって議長に提出した、オープンな議論と中立公平な議会運営を求める要望書が「少数意見だから」と聞き置かれたからです。民主的で開かれた議会を標榜しながら、このような議会運営は看過できないと思いました3

――区民の反応は?
大勢の方に意見をいただきました。「そもそも議事録も録音もないのでは、議論の経緯も根拠も分からないから判断できない」という批判や、「納得できる結論が出なかったとしても、議論は尽くすべき」という意見もありました。そのほか、区民が正しい情報を知る難しさや議員による問題提起の大切さを指摘する声も寄せられました。

――そもそも、議会の情報公開が足りなかったのでは?
はい。情報が公開されていなければ区民が真偽を判断することもできませんし、批判や対案を記録しておかなければ後世の人が検証することもできません。決定事項を書き残すだけでなく、議論のプロセスを公開すべきだと思います。

――議会の反応はいかがでしたか?
こちらもさまざまでした。ベテラン議員からは前代未聞と批判されましたし、「多様性を標榜する会派が、議長にだけ多様性を認めないのはおかしい」とも言われました。多様性に寛容な社会を目指すのであれば、不寛容な相手に対しても寛容でなければいけないという批判です。

――不寛容に対する寛容、「寛容のパラドックス」ですね。
そうです。哲学者のカール・ポパー4は、不寛容な人々に無制限の寛容を認めると、寛容な人々や社会は滅ぼされてしまうと警告しました。そういう人たちが共存していくには、他の人と一緒にオープンに議論できる環境が必要という指摘です。

――民主的で開かれた場が必要ということでしょうか?
議会のようにオープンな議論の場では、意見の違う人同士が無制限に傷つけ合うのを避けられます。正しさを主張し合うのではなく、思い込みを開示し合うこと。結論を急ぐより、異論や反論をできるだけ多く引き出すことが、議論の質を高めるポイントだと思います。

――議会への区民の参加も課題では?
放置すると内輪の論理が横行して、不寛容で閉じた議会になってしまいがちです。区民が参加し、議会のあり方や運営ルールを一緒に考えることで公正で開かれた議会をつくることができます。ビジョンを示して参加を促し、話し合いの土壌をつくるのも私たち議員の大切な仕事ではないでしょうか。

――そのほうがもっといい議会がつくれると?
議会は「言論の府」ですからね。問題をオープンにすれば、誰かが必ずアイディアをくれる。自分の意見や考えに間違いがあれば、誰かが必ず指摘してくれる。そんな信頼できる言論の場をつくるためには、多様な視点や立場の人に、議会に参加してもらうのがポイントです。

――まさに「民主主義の学校」ですね。
どこも同じですよね。民主的で開かれた話し合いの場があれば、安心して言いたいことを言い合えます。互いに傷つけ合うのではなく気づき合う。悩みや苦しみを隠すのではなく、共有して知恵を出し合う。そんな話し合いをとおして生活や地域の課題を解決する体験が、ボトムアップの政治の原点だと思います。

生活と政治の「壁」を超える
――民主主義を支えているのは?

――議会が身近に感じられないという声も聞きますが、いかがですか?
そもそも政治が、私たちの生活から遠く離れているんだと思います。政治の話をしづらい社会の空気もあります。生活と政治は直結しているはずなのに、壁があるように感じます。

――政治が分かりにくいせいでは?
なぜ分かりにくいのかが問題です。政治も社会も複雑化しているのに、メディアも教育も追いついていません。理解できないから参加も意見もできないし、人任せにするしかない。まず、そんな状況を変える必要があると思います。

――学校や家庭でも、政治の話は避けられがちですよね。
学校は中立性に縛られすぎなんじゃないでしょうか?本来であれば、学校や地域の問題を自分ごととして考え、自分たちで考えて決めるのが主権者教育のはずですが、教材をなぞって終わりという学校もあります。私も議員になる前は、政治に距離を感じていました。社会の空気をつくっているのは私たちですから、なぜ政治の話は避けられるのか、政治を分かりにくくしている力や、政治家の専売特許にしようとする力がどこから生まれるのかを問うのも、私たちの役割だと思います。

――政治を分かりにくくしている原因のひとつが選挙だと思います。選挙制度ってほんとうに分かりにくいですよね?
いまの公職選挙法は、戦前の普通選挙法を引き継いだものですからね。実際、読んだだけではよく分からない規制がたくさんあって、立候補や選挙運動への参加のハードルになっていると言われます。

――なんで分かりやすくしないんでしょうか?そもそも、政治家が自分でルールをつくっているのが問題なのでは?
そうなんです。自分でルールをつくれるのであれば、自分に甘いルールにしようとする人が出てくるのは当然です。選ばれる側の政治家が私利私欲でルールを決めるのではなく、選ぶ側の誰もが参加しやすい制度をつくるためにも、公正でオープンな意思決定の場が必要だと思います。

――そうすれば選挙も身近になると思います。もっと若者や子どもに優しい制度にしてほしいですよね。
社会全体の利益や関心を反映するのが政治ですからね。選挙権のない若い人や、これまで選挙に参加できなかった人たちの声を反映した制度をつくるのが、政治家の仕事だと思います。

――若者は政治に関心がないという話も聞きますが?
若い世代ほど政治や政治家との接点が少ないぶん、関心を持ちにくいのもありますよね。一方で、政治や社会のことを身近に話せる人がいないとか、メディアに出てくる政治家が自分たちに語りかけているように思えないといった状況は、政治家自身に責任があると思います。もっと親しみや憧れを感じられる政治家が増えれば、関心を持つきっかけになるんじゃないでしょうか。

――いまはむしろ不信や無関心が広がっているように思えます。
一人の力では何も変わらないという無力感や諦めはありますよね。その結果、政治に関わる人や投票する人が減れば、余計な口出しをされたくない権力者の思う壺です。このままでは、民主主義の存続自体が危ぶまれます。

――このままいくと独裁者の思いのままでは?
「選挙で選んだら、あとは何も考えずにお任せください」というのが、独裁者の常套手段ですからね。人が見ていないところで話を進めたり、人が知らないところで勝手に決めたりしようとする人は、政治家として不適任だと思います。

――独裁者は社会の空気もコントロールしますからね。
空気で決めれば、責任逃れや失敗隠しができるからです。派手なプロパガンダで社会の分断を煽るのも同じ理由だと思います。敵味方で分ければ、多数決で少数者を切り捨てて反対意見を無視できますから。個人の自由な言動を抑圧する空気も、独裁が生み出すものだと思います。

――どうすれば変えられると?
人任せの政治の仕組みを変えることです。意見の表明や権力の監視は民主主義を守るのに必要なコストですので、より多くの人が参加できる仕組みをつくるのが先決だと思います。実際、自分で考えないと空気に流されるし、強いリーダーに期待する気持ちは悪用される危険があります。独裁の根源が一人ひとりの心の弱さにあるんだとしたら、弱さや間違いを前提にした政治の仕組みをつくる必要があります。

――立憲主義もそのひとつでしょうか。
誰もが自由に考え、意見を表明できるのが民主主義で、誰もこの権利を侵してはいけないという基本ルールが立憲主義です。誰だって文句を言いたいときはあるんだから、たとえどんな理由があっても文句を言う自由は守らないといけない。そう決心して、私たち自身の弱さから自由と人権を守るのが立憲主義の使命です。

私たちの声を政治に届ける
――地方自治の主役は誰か?

――私だって文句を言いたいことがあります。どうすれば届くでしょうか?
政治の主役は、主権者である私たち一人ひとりですよね。代表者である政治家に任せきりにせず、主権者が対等なパートナーとして政治に参加できる仕組みをつくるべきだと思います。

――この人には任せられないと思ったときは?
代表者を選び直すか、仕組み自体をつくリ直すかでしょうか。地方議会も首長も、住民が解散や解職を求められますし、条例の制定や改廃も提案できます。国政や国会より参加する方法がたくさんあるのが地方自治の特長です。

――選び直しても結局、同じだったら?選挙で選んでも、あとで裏切られたという人はたくさんいると思いますが。
選挙では限られた民意しか反映できないので、どんな代表者でも社会全体を代弁できる仕組みをつくるほうが大切だと思います。代表者が政治権力を乱用しないよう、ルールをつくって監視するのも立憲主義の大切な役割です。

――そのほうが確実ですね。たとえばどんな仕組みが?
自治体の憲法とも呼ばれる「自治基本条例」や「議会基本条例」がそうです5。どちらも地方分権の流れで自治体や議会の力が強まるなか、ほんらいの主役である住民が取り残されることのないようにつくられた仕組みです。

――どう活用すればいいですか?
自治基本条例には、区民の政治参加や監視の方法のほか、区や議会の責務も明記されています。これをもとに区や議会をオープンに評価すれば、選挙での選び方も変わってくると思います。

――自分たちの条例で評価すると。そもそも、住民が選挙にしか参加しないというのが問題ですよね?
参加方法が選挙に限られている社会のあり方を、アメリカの哲学者ノーム・チョムスキーは、「観客民主主義」と呼んでいます6。住民の大半が選挙で投票したらまた観客に戻って傍観するだけで、本当の主権者ではないという批判です。

――選挙の前だけいいことを言う政治家も原因では?
「政治家(statesman)」は次の時代のことを、「政治屋(politician)」は次の選挙のことだけを考えるとも言われます。せっかく選んだ代表者が、本業より選挙優先の政治屋にならないよう、本業を評価する仕組みをつくるのが先決だと思います。

――分かりやすい喩えですね。政治屋の私利私欲が「観客民主主義」の原因だと?
実際、当選だけが目的の政治屋にとって、他の政治家や政治家志望の若者は邪魔者です。競争相手が減れば楽に当選できるからです。政治家のなり手不足や人気低迷の理由も根本は同じだと思います。

――政治家のロールモデルの不足も一因では?
主義や主張が近い政治屋が増えればパイの奪い合いになりますよね。私利私欲が優先の政治屋はロールモデルになろうとはしません。自分が生き残るために後進の育成を疎かにしてしまう。これも構造の問題だと思います。

――反対に、未来を優先する政治家なら、志が同じ政治家を増やそうとするはずですよね。議員のリクルートって、どうなんですか?
私は、たまたま地域活動を一緒した近所の先輩議員から後継を託されました。熱意や思いがあれば、そうやって次世代にバトンを引き継ぎたいと思うはずです。自分の選挙のことばかり考えるのではなく、思いを共有できる後継者を一人でも多く育てられるかどうかも政治家の大切な資質だと思います。

――いまの選挙制度では、若者が挑戦しづらいと思いますが。
お金やノウハウがないと勝てない仕組みの問題ですよね。実際、ロールモデルもリクルートの事例も足りません。誰もが政治家を目指せる仕組みをつくるのも、先進の政治家の責務ではないでしょうか。

――若者にはリスクが高すぎるのでは?
若者や女性には票ハラの問題がありますし、票や支援をかたに取る有権者もいます。誰もがチャレンジできなければ議会の多様性がなくなって、代表制民主主義が機能しなくなってしまうわけですから、こうした差別やハラスメントの撤廃は喫緊の課題です。

――うるさいだけの選挙カーも問題ですよ。名前の連呼とか、若者はやりたくないですよね。
公職選挙法の本来の趣旨は連呼禁止です。名前だけOKという例外規定にのって、人が嫌がることを平気でやる感覚が問題なんですよ。選挙チラシだって「とにかく顔と名前を大きく書いて。ごみ箱に捨てる前の一瞬、目に入れば儲けもの」とデザイナーが言うんですから。どうせ中身なんて誰も読まないという感覚の問題です。根本的な問題が何かを分かっていれば、変化のチャンスをつくれます。

――選ぶ側も試されるということですね。
顔と名前だけで選んで投票すると、中身なんて誰も見ないという考えに同調することになります。選挙は有権者にとっても真剣勝負です。ほんとうに「安心してお任せください」という候補者に任せていいのか。口先だけの政治屋に騙されないためには、選ぶ側にも力が必要だと思います。

――ほんものの政治家を見極める力ですか?
チラシや演説はごまかせますよね。実績は脚色できるし、熱意も演出できます。ほんとうに信頼できる政治家は誰なのか。人生をかけて未来を切り開く、覚悟と誠実さを兼ね備えた人は誰なのか。見極める気持ちで、政治家と接してほしいのです。

生活の隅々から民主主義を立ち上げる
――学び合いとケアの政治へ

――信頼できる政治家が少なくなったんでしょうか。子どもたちの将来の夢にも挙がらなくなったと伺いました。
本当はもっと尊い仕事のはずです。前職の保育士もそうですが、政治家も人の成長を支える仕事です。本当の主役は誰か。人を助け、力づける仕事にどれだけの価値があるか。民主主義の本質に気づければ、未来は変えられると思います。

――成長を支える。まさに、「民主主義の学校」ですね。
地方自治はいちばん身近な民主主義の学びの場なんです。すべての人に門戸を開き、互いに学び合って一緒に社会をよくしていこうとするのが本来の自治なわけですから。共に考え、話し合い、行動しようとする民主主義の実践者を力づけるには、政治家自身にも学びの実践が必要だと思います。

――学び合い、力を高め合うことが民主主義の本質だと?
互いに学び合う対等なパートナーシップの関係があれば、政治への関心や自己効力感も自然と育ちます。人が集まることで互いの力を高め合うことができれば、民主主義の真価を実感することもできます。多様な考えの人が共生することで集団のレジリエンスが高まり、複雑な問題や危機にも対応できるようになります。

――民主主義を実践すれば、チーム力も高まるということですね。
そうです。メンバーが多様な集団ほど、変化に適応する力や危機から立ち直る力があります。さまざまな意見や考えの人を受け入れることで、危険を感知する力や活路を見出す力が向上するからです。一見、非効率にも見える多様性の高い集団のほうが長続きする理由です。

――いまはどちらかというと効率性が重視され、多様性が軽視される風潮も感じますが。
能力や功績を勝ち取った人にしか自由を認めない風潮もありますよね。このままでは、環境や運に恵まれない人は社会から取り残される不安を強いられながら、生き続けなければならなくなります。

――メリトクラシーですか。弱肉強食の社会ですね。
強弱や損得で判断するからですよね。競争原理で人より優位に立とうとすると、互いを力づけ合うことができません。対等な関係の集団からしか本当の民主主義が育たない理由だと思います。

――対等な関係の集団ですか。どうすればつくれると?
個人の自由な選択を尊重することからでしょうか。政治は生活のあらゆる場面に関わっています。何を選び、何を食べるか。誰と話し、誰と過ごすか。その選択の繰り返しが政治なわけです。何を大切にし、誰を支えるか。そんな日々の選択の一つひとつを大切にすることで、政治や社会の風潮を変えることができるんじゃないでしょうか。

――何を選ぶか、が政治だと?
どうやって選ぶか、もです。一見、無力に思える一人ひとりの日々の選択が政治の本質なんです。自分で考え、判断し、行動する。傷ついた人を支える、おかしいと思ったら言葉にする。自由な選択の積み重ねが、生活と政治のつながりを取り戻す鍵なんだと思います。

――生活と政治をつなぐ。それを支えるのが政治家というわけですね。
政治の本質はケアですからね。いまの社会に諦めかけている人をケアし力づけること。誰だってほんとうは諦めたくないんです。人の役に立ちたいし、社会もよくしたい。それなのに政治も社会も分かりにくくて、つい取り残された気がしてしまう。そんな不安を抱えた人をケアするのが、政治家の仕事です。

――誰もが自由に生きられるための政治、ということでしょうか?
自分の人生に関わることくらい、ほんとうは自分で決めたいですよね。騙されたくないし選ばされたくもない。なのに、気づかれないように人を騙したり選ばせたりする技術はどんどん精緻化しています。一人ひとりの選択と行動を支え、自由と幸福を守るのが政治の責務だと思います。

――最後に、読者のみなさんへのメッセージがあれば。
よりよく生きたい、人や社会のためになりたいという一人ひとりの思いを守るには、人が集まり、支え合い、学び合うことで力を高め合う、民主主義の本来の形を取り戻す必要があります。地方自治は民主主義の学校であり、実践の場です。家族や友人に声をかけて実践を始める。私たちの生活の隅々から民主主義を立ち上げる。学び合いとケアの政治、一緒に始めませんか。

▼インタビューの続きはこちらをご覧ください
#4 透明で開かれた区議会から自治と民主主義を立て直す
初当選から4年間の振り返りや自治と民主主義の立て直しの方法など
#5 あなたと議会をつなぐ。生活と政治をつなぐ。
若者の政治参加の方法やそれを支え、力づける政治家の役割など

▼過去のインタビューはこちらをご覧ください
#1 子どもたちが当たり前に政治を志せる社会をつくる
これまでの道のりや政治にかける思い、新しいスタートへの抱負など
#2 未来を生きる子どもたちに選ばれる議員になる
初めての議会活動の振り返りや開かれた自由な議会の実現方法など

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  1. 請願の仕組みや提出方法は、前回のインタビュー記事をご覧ください
  2. 予算修正案の詳細は「文京みらい会派レポート」をご覧ください
  3. 経緯の詳細は「文京みらい」のFacebookページに公開しています
  4. カール・ポパーの著書『開かれた社会とその敵』(Karl Popper. (1945). “The Open Society and Its Enemies”)には、理性的な議論や世論によるチェックができているかどうかが、寛容を認められる条件と記されています
  5. 自治基本条例の詳細は文京区のwebサイトをご覧ください(議会基本条例は未制定)
  6. ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール ―正義なき民主主義と国際社会』(Noam Chomsky. (2002). Media Control: The Spectacular Achievements of Propaganda)