インタビュー #1

子どもたちが当たり前に政治を志せる社会をつくる

2019年4 月の選挙で初当選し、議会でも地域でもたくさんの活動の機会をいただきました。
大学院修了後、保育士として現場で働きながら下町の長屋で3 人の子どもを育て、まちづくりや地域活動に取り組んできました。
この経験を活かし、困ったときこそ頼りになる本来の政治を、暮らしに根ざしたボトムアップのまっとうな政治を、このまちからつくっていきたいと思います。
これまでの道のりや政治にかける思い、新しいスタートへの抱負などについてインタビューにお答えしました。ぜひご覧ください。

生い立ち――受け継いだ命のバトンをつなぐ

――生い立ちを教えてください。
出身は愛媛県松山市です。瀬戸内海に面した漁師町で、海と山に囲まれて育ちました。小さな町なので、町じゅうの人が顔見知りなんですよね。お祭りや年中行事も盛んな地域で、幼少期には忘れられない思い出がたくさんあります。

――家族や生家はどうですか?
両親がふたりとも教員で、自宅で私塾を営んでいたので、子どもから大人まで大勢が出入りしていました。小さい頃は、忙しい両親に代わって母方の祖父母に預けられることが多く、大好きな祖父にいつも遊んでもらっていました。優しくて器用な人で、大工から料理まで、なんでもやって見せては、小さな私に教えてくれました。

――おじいさんの印象的な思い出はありますか?
大正生まれで、太平洋戦争で従軍したミクロネシアの小島での体験を聞かせてくれたことがありました。雑草の根を食べて飢えをしのいだ話や、艦砲射撃を受けて目の前で友人を亡くした話をしたあと、「命なんて、軽いもんやと思っとった」とつぶやいたときの祖父の表情は、今も忘れられません。

――もう一人のおじいさんは?
父方の祖父は結婚後すぐに徴兵され、ニューギニアの山中で戦死したそうです。祖母は混乱のさなかに乳飲み子を連れて満州から引き揚げ、住み込みの下働きで父を育てました。いつも優しい祖母でしたが、母方の祖父母とは対照的に、戦争については一度も口にしたことがありませんでした。

――思い出すのも辛かったんでしょうか?
そうかもしれません。父の話では、祖父の戦死の知らせを信じられず、戦後も帰りを待ち続けたそうです。祖母はとても信心深い人で、小さな神棚の前で、ひとり静かに祈っている姿をよく見ました。何を祈っていたのかは聞けませんでしたが、そんな祖母の横顔に、死の影のようなものを感じた記憶があります。

――亡くなった人の影ということですか?
はい。私も大学のとき大切な友人を亡くしました。誰にでも優しく、みんなに慕われ、東京の暮らしになじめないで落ち込んでいた私を、いつも励ましてくれていました。葬儀にも大勢の人が集まりました。彼との別れを惜しむたくさんの声を聞きながら、自責の念に駆られました。なぜ彼でなければならなかったのか。なぜ私が残されてしまったのか。もし彼が生き残っていたら、もっと人のために、もっと社会をよくするために貢献できたはずなのにと思うと、居ても立ってもいられなくなりました。

――それは難しい問いですね。
ええ。しばらくしてから、答えはないんだと気づきました。彼と同じように人に尽くしたり社会に貢献したりはできないかもしれませんが、精一杯、悔いのない毎日を過ごすことだけが答えに近づく方法だと。彼も祖父母も、大切なものを残して亡くなりました。彼らの願いや、生きた証を後生に受け継ぐためにも、残された私がバトンをつないでいかなければと感じています。

長屋の流儀――旧くて新しい支え合いの仕組み

――文京区に住んだきっかけを教えてください。
きっかけは大学受験です。18歳で進学とともに上京し、都内の学生寮で2年暮らしてから、キャンパスが変わるのをきっかけに、文京区に引っ越してきました。

――根津の長屋に暮らしているそうですね。
大学までの道すがら、同級生の妻とよく根津の町を散歩しました。どこか懐かしく親しみやすいのに、路地に入り込むと新しい発見があって、新鮮な気持ちになりました。しばらくして、たまたま知り合った友人家族の長屋での暮らしぶりが気に入って、根津の長屋に引っ越すことにしました。

――住み始めたころは、いかがでしたか?
予想もしなかったことがありました。酔っ払った並びの長屋のおじいさんが、急に玄関から入ってきて上がり框に腰掛けたと思ったら、「最近の若いもんはよー」とお説教が始まったんです。それも1時間。正直、途方に暮れてしまいましたが、あとになって、新参者の私たちの暮らしぶりを確かめに来ていたんだと知りました。親しくなってからは、おじいさんからいろんなことを教わりました。

――どんなことですか?
長屋では内緒話はできないんだと。壁が薄くて、陰口も悪だくみも筒抜けだから、そういう人はここには住めないんだって。長屋の人に悪い人はいないんだと言うんですよ。あと、よく、隣に醤油を借りに行くって言うじゃないですか。あれ、今じゃ考えられないですよね。ところが、醤油はわざと借りに行くもんだって言うんです。取るに足らないものでいいから隣に借りをつくるんだって。そうやって借りをつくって返してを繰り返すなかで、ご近所の信頼関係ができていくんだって言うんです。

――長屋暮らしの流儀ですね。
ええ。あと、長屋の人はよく猫を飼ってるんですが、これが大概、何軒かを行ったり来たりしているんです。軒が並んでいて行き来がしやすいからみたいですが、そうやっていろんな人にご飯をもらって、それぞれの名前で呼ばれているんです。誰の猫かなんて関係ないんですね。

――ご家族はどうですか?
妻と息子3人です。はじめは夫婦二人で静かに暮らしていましたが、子どもが生まれてからはいろんな人にお世話になりました。面倒を見てくれたり保育園に迎えに行ってくれたり、ときには、ご飯やお風呂までお世話になることもありました。

――お風呂もですか?
親戚でもないご近所さんですよ。さすがに申し訳なくて謝ったら「遠くの親戚より近くの他人、でしょ。お互いさまよ」と笑顔で諭されました。「子どもだってその方が絶対、幸せなんだから」と。本当にありがたくって、それ以来、この町のことが大好きになりました。

――「遠くの親戚より近くの他人」、いい言葉ですね。
この町では人に迷惑をかけないことより、かけて返しての方が大事なんです。子どもにだって、親以外の大人からしか学べないことがありますよね。親が迷惑を気にすれば、この斜めの関係もなくなります。反対に、いつか返せばいいと思えれば、気兼ねなく助け合えます。実際、東日本大震災では、ご近所さんの片付けを手伝ったり壊れた戸を直したり、日頃の恩返しができました。並びの長屋のひとり暮らしのおばあさんは、子どもの声を聞くと安心すると言います。「うるさい方がいいのよ。前の家は物音ひとつしなくて、怖くて夜も眠れなかったんだから」と。

――今は騒音と感じる人のほうが多いのでは?
どこの誰かも分からない人の音は気になりますが、長屋では向こう三軒両隣は家族みたいなものです。特に、猫や子どもは小さくて弱い存在だからこそ、人と人をつないでくれるんです。ネットのつながりとは違う、地べたのローカルなつながりです。開放的でお互いさまの長屋の暮らしのようなつながりを、誰もが気持ちよく関われる支え合いの仕組みを、どうつくるかが課題と思います。

地域と学校――まちぐるみで支え合い、学び合う

――まちぐるみの支え合いですね。
長屋の暮らしは忙しいしお金もありませんが、困ったときは誰かが助けてくれるという安心感があります。保育士の経験やスキルを地域のために役立てたいと思い、保育園の父母の会や小学校のPTAなどに関わり始めたのもこの頃です。

――保育園では父母の会長もやったそうですね。
東日本大震災の影響で問題が山積みでしたが、みんなの力を借りてなんとか乗り越えられました。保育現場の経験も役立ちました。父母の代表として参加した区の審議会では、行政単独の問題解決の難しさと市民参加の重要性を実感しました。また、子育てをとおして助け合う安心を伝え、これから子育てする人が大勢の助けを借りられるよう働きかけていくことをライフワークと考えるようになりました。

――お仕事についても教えてください。
大学の専攻は農学部でしたが、教職を目指して教育学部にも通いました。特に、保育学や幼児教育学の授業は新鮮で、教育への価値観を根本からくつがえされました。教育って本来は双方向のものなんですよ。大人から子どもへの一方通行じゃない。大人が子どもに学んだり、子どもと一緒に人生を生き直したりするほうが、ほんとうの教育なんです。大学院修了後はそんな教育に憧れ、一念発起して都内の認可保育園に就職しました。

――現場の仕事はいかがでしたか?
はじめは戸惑いだらけでした。授業で学んだ理論と現場の実践のギャップや、保育士と保護者の価値観の違いをどうするか、ずっと悩んでいました。あるとき、恩師が「迷ったら子どもに相談すればいいんだよ」と教えてくれたんです。肝心の子どものことを忘れて、大人ばかり見ていたんだと思います。それからは、子どもを対等な一人の人間としてみる現場の仕事に、純粋な喜びを感じるようになりました。

――たとえば、どんな仕事に携わりましたか?
保育士の育成や地域との連携、保幼小中の連携などです。いまの教育現場は多忙で、子どもとの創造的な学び合いに時間をかける余裕がありません。特に、保育は人手不足のため人材育成が課題です。なかでも、地域や学校との関わりは、現場の保育士の視野を広げ、探求心を深めて、自身の課題や働き甲斐を見つけるのにも役立ちました。

――小学校のPTAにも関わったそうですね。
はい。現場の先生たちの苦労を目の当たりにして、地域と学校の協力の大切さを実感しました。地域のつながりと学校教育の質は深く関係しています。地域と学校が同じビジョンを共有することで、教育現場のさまざまな問題にも解決の糸口が見つかるはずです。

第二の故郷――子どもたちに「ふるさと」を受け継ぐ

――政治を志したきっかけを教えてください。
地元の区議の渡辺まさしさんから、年末の火の用心に誘われたのがきっかけです。拍子木を打ちながら夜の町を回るんですが、渡辺さんがこの町を知り尽くしているのに驚きました。路地をくまなく歩いて、すれ違う全員に声をかけるんです。「火のもと戸締り、ご用心ください」「おつかれさま。今日もありがとう」という感じで、みんな知り合いなんですよ。

――ふつう声まではかけませんよね。
思い返すと確かに、この町の人はよく人に声をかけるんですね。例のおじいさんはいつも路地の入口に立っていて、「どこ行くんだ?」「誰かに用か?」と聞くし、惣菜屋のおばさんも「さっき奥さんが大根を持って帰ったから、今夜はきっとお鍋だわ」なんて、よく見てるんです。町を守っている人の存在に、はじめて気がつきました。

――それから何か変わりましたか?
火の用心がきっかけで、地域や町会の活動に関わるようになりました。子どものイベントやお祭り、まちづくりや防災など、いろんな仕事や役割を任されるなかで、町を守ってきた人たちに近づける嬉しさと、コミュニティの一員として認められる誇らしさを感じました。そうやって町を守るいろんな人たちの思いに触れるなかで、次第にこの町を第二の故郷と感じるようになりました。

――もうひとつの「ふるさと」ということですか?
子どもたちにとっては、生まれ育ったこの町が故郷なんです。自分と同じような故郷の原風景や原体験を、この子たちの記憶に残したいと思いました。子どもたちが将来、思い出したときに「ここで生まれ育って本当によかった」と思える町をつくりたい。そうやって先人の思いを子どもたちに受け継いでいくことが、お世話になった人たちに私ができる一番の恩返しではないかと思っています。

民主主義の学校――地方自治から民主主義を立て直す

――なんで立憲民主党を選んだんですか?
政治をもっと身近で当たり前のものに、子どもたちが普通に関心を持てるものにしたいんです。立憲民主党は、生活の現場から政治を立て直します。政治が生活を動かすのではなく、生活が政治を動かす。本来の関係を取り戻し、多くの子どもが政治家を志して、社会に秩序と統合をもたらす原動力になることが目標です。

――地方議員を志した理由は?
イギリスの歴史学者ジェームズ・ブライスが残した言葉に「地方自治は民主主義の学校」というのがあります。民主主義の基盤は地方自治であり、民主的な国家を実現するには、まず地方自治を確立せよという意味です。言い換えれば、この国の民主主義を守る最後の砦が地方自治であるともいっても過言ではありません。

――最後の砦ですか?
少子高齢化や核家族化で、家庭や地域にあった「お互いさまの支え合い」の仕組みが立ちゆかなくなっています。いまの政治にはこれを補う力もありません。本来なら温かくて肌ざわりのよい社会をつくるはずの政治が、冷たい自己責任論や弱肉強食の競争を煽り、分断や対立を助長してばかりいます。私たちが目指しているのはそんな未来ではありません。

――どんな未来ですか?
一人ひとりを大切にする未来です。自由と人権を大切に、弱い人を守る社会です。立憲主義は憲法で政治の暴走を止めるため、民主主義は一人ひとりが人生の主役になるためにあります。政治を私たちの手に取り戻し、困ったときこそ頼りになる本来の政治に立ち戻りたい。病気や介護が必要なときに誰もがケアを受けられる未来に、忙しくてもお金がなくても誰もが安心して子どもを生み育てられる社会にしたいんです。

――それを実現するのが本来の政治だと?
はい。立憲民主党は一政党に過ぎませんが、市民と政治家をつなぐプラットフォームの価値はそれ以上です。身近な問題をとおして政治への関心を育て、生活の現場から民主主義を立ち上げるのも、政治家の大切な仕事です。この町が変わればまわりの自治体にも影響を与え、地方自治が変われば国政にも変革のチャンスが生まれます。回りくどいかもしれませんが、地べたから一つずつ積み上げていくのが、本来のまっとうな政治を実現する最善の方法と思います。

――国政についてはいかがですか?
国政も分断と対立が続いています。この政治の流れを変えるのもまた、一人ひとりの工夫と努力です。利己的で感情的なこれまでの方法とちがって、公共的で理知的な話し合いをとおして、問題をひとつずつ解決するところから始めませんか。身近な問題を人まかせにしないで、それぞれが自分で動き、動かすことから始めませんか。決められたルールでどうやるかではなくて、おかしなルールをどう変えるかを考えてみませんか。そうやって信じられる確かな規範を積み上げた先に、本来のまっとうな政治が取り戻せるのではないでしょうか。

――最後に、メッセージをお願いします。
地方自治の目的は、誰もが人生の主役になれる町をつくることです。政治も社会も先行きの分からない状況が続いています。つい考えるのをやめたり批判に明け暮れたりしてしまいますが、それでは流れは変わりません。大事なのは自分がどんな人間で、何を望んでいるかを理解すること。何が楽しみかを掘り下げ、その先に望む暮らしや社会の姿を、具体的に想い描いてみせることです。道のりは遠くても、知恵と力を合わせれば必ず近づくことができます。この町の未来をつくるのはあなたです。一緒に新しい挑戦を始めませんか。

▼インタビューの続きはこちらをご覧ください
#2 未来を生きる子どもたちに選ばれる議員になる
新しいスタートへの抱負や初めての議会活動、開かれた自由な議会への道すじなど
#3 誰もが政治の主役になれる社会をつくる
コロナ危機による変革のチャンスやボトムアップの政治参加の方法など
#4 透明で開かれた区議会から自治と民主主義を立て直す
学び合いとケアの政治への道すじや私たちの力で政治を変える方法など
#5 あなたと議会をつなぐ。生活と政治をつなぐ。
若者の政治参加の方法やそれを支え、励まし、力づける議員の役割など