立憲民主党のインタビューを受けました #07

立憲民主党インタビューの続編をお送りします。
今回の内容は、長屋の子育てについてお話しした部分です。ご覧ください。

★前回のインタビュー内容はこちらをご覧ください


INTERVIEW#07 文京区担当政策委員 沢田けいじ
「かつてない核家族化社会をみんなで生きていくために」

――遠くの親戚より近くの他人、という話がありました。エピソードを詳しく教えてください。
同じ長屋のご近所さんから言われた言葉です。家族でも親戚でもないのに、子どもの面倒を見てもらったりご飯を食べさせてもらったりするのが申し訳なくて、謝りに行ったときのことでした。ひとり暮らしが寂しかったのかもしれませんが、「昔の人はいいこと言ったわよね。家族とおんなじ、お互いさまよ」と笑顔で言われたときは、本当に救われた気持ちになりました。

――おひとり暮らしだったのですか?
ええ。同居していたお母さんを亡くして、猫と二人で暮らしていました。あと、隣にもひとり暮らしのお婆さんがいました。子どもの声がうるさくてごめんなさいと謝ると、必ず「うるさい方がいいのよ。前に住んでいた家は物音ひとつしなくて、怖くて一人じゃいられなかったんだから」と慰めてくれました。夜は隣の物音が聞こえてくれば、安心して眠れるともおっしゃっていました。

――今は騒音が問題になることの方が多いのでは?
長屋では、向こう三軒両隣は必ず顔見知りですからね。どこの誰かも分からない人の音は気になりますが、相手の顔が思い浮かべば多少の騒音もへっちゃらです。またあの兄弟が喧嘩してると思ったら、気になって覗きに来るくらいの関係が、本来のご近所さんなんだと思います。

――兄弟喧嘩はしょっちゅうですか?
毎日です。「今日も元気でいいね」と言ってくれるご近所さんのことは子どももよく分かっていて、何かあれば上がり込んで、お茶やお菓子をいただいています。迷惑をかけたときも、「子どもだって、その方が絶対に幸せなんだから」と言ってくれるご近所さんの存在は、長屋の子育てには不可欠と思います。

――子どもたちも分かっているんですね。
はい。前にもお話ししましたが、この町では人に迷惑をかけないことより、かけて返しての方が大事なんです。子どもにだって、親以外の大人からしか学べないことがありますよね。親が迷惑を気にすれば、この斜めの関係もなくなります。反対に、この恩はいつか返そうと覚悟を決めれば、気兼ねなく助けを借りることができます。

――斜めの関係、ですか?
親子のように固定化された関係と違って、ご近所の関係は多様で開放的です。自分の子だと許せないいたずらが、人の子だと大目に見られたり客観的に分析できたりするのは、この斜めの関係があるからです。適度な距離感が子どもの信頼や憧れにつながり、親とは違った教育力を発揮します。ご近所さんにとっては、親子のように責任を強く感じなくて済むおかげで、関りを楽しめるという面もあるかもしれません。

――他の親との関係も同じですか?
ええ。お互いに距離をとって客観的に見られる関係なら、同じことがいえると思います。ただし、親同士の関係は複雑で、必ずしも人の子を手放しで可愛がれるとは限りません。自分の子と比較して優劣を競うような関係は、やはり本来の斜めの関係とはいえません。

――競争社会ですからね。
子ども同士の競争は悪くありません。問題なのは親が、子どもの競争を煽ることです。親のエゴを押し付けられ、代わりに競争させられる子どもは不幸です。少子化や経済不安で、子どもたちは親からも社会からも追い立てられています。前ばかり見て走っていると息が詰まりますが、そばに斜めの関係の大人がいれば息抜きもできます。

――少子化について、どう思いますか?
二十年後には、三世帯に一世帯がひとり暮らしと言われます。これまでの家族に頼ったコミュニティは通用しません。少子高齢化を止めるのも大切ですが、同時にこのかつてない核家族化社会をどう生きるかを、一人ひとりが考えておく必要があります。まさに遠くの親戚よりも近くの他人を、親身になってくれるご近所さんを大切にしていかなければ、孤独な社会は避けられないでしょう。子育ても、競争を優先すればパイの奪い合いですが、お互いに育て合い、助け合う関係をつくることができれば、子どもが成長してからも親同士の信頼関係が残ります。がむしゃらに競争に明け暮れるか、お互いの迷惑を覚悟して助け合うか、未来を見据えた判断が求められます。

(インタビューは次回に続きます)

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